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コラム一覧 :歴史と偉人と言葉に学ぶ

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過去の15件

ウインストン・チャーチルに学ぶ、危機持のトップの天稟

1 ウインストン・チャーチルについて(1)誕生、幼年期ウインストン・チャーチルは、1974年、父ランドルフ・チャーチル(第7代マールバラ公爵ジョン・チャーチルの三男)、母ジャネット・ジェローム(アメリカの富豪の娘)の長男として生まれています。この時期、イギリス貴族の子と... 続きを読む

歴史と偉人と言葉に学ぶ

2018-06-19

「孫子」と「漢書」に学ぶ、トップと幹部の関係 5

2 武田勝頼(一)長篠の戦い武田信玄亡き後、信玄の衣鉢(いはつ)は武田勝頼が継ぎます。武田軍団は、なお強大です。勝頼は、徳川方に帰属した長篠城を攻めますが、このとき徳川に織田信長の援軍が到着して、長篠の戦いに入ります。戦いの前の敵味方の人数織田・徳川軍は三万八千人... 続きを読む

歴史と偉人と言葉に学ぶ

2018-06-08

「孫子」と「漢書」に学ぶ、トップと幹部の関係 4

三 腐木は柱と為す可からず。卑人は主と為す可からず「腐(ふ)木(ぼく)は柱と為す可からず。卑人(ひじん)は主と為す可からず」という言葉は、後漢の時代を書いた「後漢書(ごかんじょ)」の言葉です。意味は、腐った木は柱にしてはならず、卑しい心根の人は主人にしてはならないというものです... 続きを読む

歴史と偉人と言葉に学ぶ

2018-06-07

「孫子」と「漢書」に学ぶ、トップと幹部の関係 3

三 楚漢の戦いに適用できる「孫子」のそのほかの教え1 輔(輔佐する者)、周(君主と緊密)なれば、則ち国必ず強く、輔、隙(げき)(君主との間の隙間)あれば、則ち国必ず弱しこの「孫子」の言葉は、君主と将の間が緊密に結ばれていると国は強いが、君主と将の間に隙があれば国は弱いと... 続きを読む

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2018-06-06

「孫子」と「漢書」に学ぶ、トップと幹部の関係 2

二  将とは、智・信・仁・勇・厳なり1 泣いて馬謖を斬る諸葛亮孔明は、劉備玄徳から、三顧の礼をもって迎えられた、歴史上屈指の軍師であり政治家です。その孔明は、玄徳亡き後、後主劉禅に出師(すいし)の表をささげて、魏を伐(う)つべく、北伐にのぼります。その第一回目のとき、街... 続きを読む

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2018-06-05

「孫子」と「漢書」に学ぶ、トップと幹部の関係 1

一 将の能にして、君の御せざる者は勝つ1 楚漢の戦い紀元前二百年より少し前の頃、中華の大陸に、楚漢の戦い(別名・項羽と劉邦の戦い)がありました。項羽は、楚の名門の血を受けた武将。秦末の動乱に乗じて叔父と共に旗を揚げ、やがて西楚の覇王と号するほどの実力をつけます。ま... 続きを読む

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2018-06-04

凧は風の力を借りたときではなく、風に立ち向かったときに、最も高く揚がる

Kites rise highest against the wind, not with it という言葉は、時期はいつかは知りませんが、ウインストン・チャーチルの口からでた言葉です。凧(たこ)は、イギリス国民の独立不羈の精神、風はヨーロッパ中にとどろくナチスドイツの軍鼓の嵐です。1 演説チャーチルは、まだ首相になっ... 続きを読む

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2018-05-21

堺は、芸術・技芸の淵藪(えんそう)であった

堺は、芸術・技芸の淵藪(えんそう)であった。これは、海音寺潮五郎の小説「天と地と」の中の一節です。ここで淵藪(えんそう)とは、「淵」が「ふち」すなわち魚が寄り集まる場所、「藪」は「やぶ」すなわち鳥獣の寄り集まる場所、ここから淵藪とは、物事の寄り集まる場所、そこを中心にし... 続きを読む

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2017-12-05

哲学とは何?

 ここまでに、徳川家康の残した処世訓のこと、法の箴言のこと、を書いてきたが、処世訓も箴言も、実に意味深い言葉になっている。それは、その言葉を作り出した人の、経験と学問によって得た知識と、そこから生まれた知恵の作用だといってもよいであろう。 アレキサンドル・デュマは、「哲学と... 続きを読む

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2017-11-16

先人の残した言葉の大きさ(箴言)

徳川家康は、処世訓というべき言葉を、数多く残しているが、このような先人の残した言葉が、謎を解く鍵になる場合がある。以下に紹介する箴言も、それである。ただ、これはアレキサンドル・デュマの小説「モンテ・クリスト伯」の中での話しであるが。この話しをすると、舞台は、フランスの... 続きを読む

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2017-11-12

先人の残した言葉からも学ぶべし

戦国時代の、権門にある武将や、その家族には、宿命的な通弊があった。これが最もよく分かるのは、菊池寛が描いた「忠直卿行状記」であろう。 忠直は、大坂夏の陣より8年前、父結城秀康の後を継いで、満12歳でにして67万石の越前藩の大封を継いだ。少将忠直卿の誕生である。この忠直、菊池寛に... 続きを読む

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2017-11-10

身を滅ぼす怒りの元 1

 徳川家康が、惜しんでも余りある、そして生涯の悔いになった長男信康の切腹。その原因が、信康の怒りの感情にあったとすると、その身を滅ぼした怒りの元は、はっきりさせておきたいものである。 信康は、妻である織田信長の長女徳姫の侍女を、怒りの感情から、徳姫の目の前で、しかも残虐... 続きを読む

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2017-11-09

淀君の怒りの感情はどこから来たのか?

大阪夏の陣で、豊臣家は滅亡したが、その原因に諸説あり、見る人によって異なる。もし家康に、早い時期から、豊臣家を滅ぼす意思があったとすれば、1600年の関ヶ原の戦いで勝利を収めた時が、機会であったといえよう。しかしながら、家康は、関ヶ原の戦いが終わった直後、関ヶ原の戦いは豊臣家... 続きを読む

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2017-11-07

大阪冬・夏の陣の遠因 激気大事を誤る

関ヶ原の戦いは西暦1600年、これに勝利した徳川家康は1603年に征夷大将軍に任じられ江戸に幕府を開く。同年、家康は目に入れても痛くない孫娘千姫を豊臣秀頼にめあわせ大阪城に送る。この時、千姫実に満6歳の幼児。また、秀頼は満10歳の子供。1605年家康は将軍位を三男秀忠に譲る。この少し前、家康... 続きを読む

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2017-11-06

堪忍は無事長久の基、怒りは敵なり

 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。これは徳川家康が残した、処世訓ともいうべき言葉です。 激気大事を誤る。これは、吉川英治が、作中の人物の一行動を捉えて、評した言葉ですが、激気というのは、怒りの感情を爆発させることです。いずれも、怒りの感情をもって、言ったこと、行っ... 続きを読む

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2017-11-02

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