コラム

 公開日: 2014-09-21  最終更新日: 2014-09-24

公用文の書き方 20 一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ 

 これは、我が国は、戦国時代の武将、本多作左衛門重次が、長篠の戦場から妻に送った手紙文とされているものです。この文章も、簡にして要を得た、文章の一例として、紹介されることのあるものです。
 秋山真之の「本日天気晴朗なれども波高し」よりは、いささか格は落ちますが、簡潔明瞭という点では、秋山真之の文章と共通するものです。
 この文章を書いた本多作左衛門重次とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。作左衛門は、実に知謀・雄略の人でした。小牧・長久手の戦いの後、天下は、ほとんど、豊臣秀吉の手に落ちたといってもよい状況に至ったのですが、徳川家康は秀吉に膝を屈する姿勢を見せません。そこから秀吉と家康の虚々実々の交渉が始まります。

 山岡荘八の小説「徳川家康」では、作左衛門は、石川数正と心契を結び、数正が柔の姿勢を取り外交を担当して秀吉と交渉し、作左衛門は剛の姿勢を取り家康ですら押さえられない三河武士団の巨頭として数正の軟弱外交を罵り家康の大阪行きに反対する姿勢を示すのです。数正は、この軍団の圧力があるゆえ、家康は大阪へは行きたくとも行けないのだと、秀吉に伝えるのです。そして、秀吉があくまで家康に臣従を求めるならば、小牧・長久手の戦いが再現すると、いわば脅迫をするのです。秀吉も、長久手の戦いの手痛い敗戦の屈辱が身に滲みていますので、戦争は避けたいと考えます。しかし、秀吉は、家康が大阪へ出てきて、秀吉に臣下の礼をとってくれないと、天下人になったとは世論も認めてくれないため、なんとしてでも家康に大阪へ来させる策を考えます。
 家康も、天下の形勢は秀吉に傾き、秀吉と戦争をしても良い結果にならないことを知っていますので、一戦は避けねばならないと考えます。しかし、そうかといって、秀吉に、家康を甘く見させてはならず、家康は、臣下の礼をとるにしても他の臣下とは別格扱いをさせねばならない、と考えるのです。ここから、秀吉・家康間に、戦争か和睦かをかけた外交戦、神経戦が始まります。
 ついに、秀吉は、家康を、というよりその背後にある三河軍団を、懐柔するため、実妹朝日姫を離縁させ家康に再嫁させます。家康を並の家臣と扱わない、親戚として、義弟として扱うという意思表示です。しかし、それでも、作左衛門は家康の大阪行きには体を張って反対の姿勢を取り、家康を大阪には行かせません。そこで、ついに、秀吉は、実母大政所を、朝日姫見舞を名目に浜松へ行かせ、それを実質的な人質として、家康に、大阪へ出てくるよう求めるのです。秀吉がここまで折れて出たのに、家康がなおも大阪行きを断ると、世論から家康怯懦なりと侮りを受けるばかりか、秀吉家康間に戦争が起こること必定です。
 そこで、ついに、家康は大阪へ行くのですが、このとき作左衛門は大政所と朝日姫のいる屋敷の周囲に薪を積み上げ、兵を配置し、もし、大阪で家康の身に何事かが起これば、直ちに、薪に火を付け大政所と朝日姫を焼き殺す姿勢を示すのです。
 作左衛門のこの所行は、とてつもない威圧を、直接には大政所と朝日姫に、間接的は秀吉に加えたものですが、恐怖に陥った大政所から見て、まことに作左衛門は鬼に見えたことでしょう。
 作左衛門は、これがため、歴史上「鬼作左」の異名を取ることになるのですが、その結果、家康は秀吉に臣従するに至ったものの、秀吉からは親戚よ、義弟よ、と呼ばれて別格の扱いを受け、五大老の筆頭になって面目を新たにし、さらには、秀吉亡き後天下人になるのですから、まことに鬼作左のしたことは、あの諸葛孔明ですら三舎を避くであろうほどの功績だといってよいでしょう。
 その知謀胆略恐るべし、です。

 この本多作左衛門が書いたのが、冒頭に紹介した手紙文です。
 鬼昨佐のこの文章は、場所が徳川・織田の連合軍と武田軍との決戦場というべき長篠で書いたものだけに、長い推敲の後でなく、寸暇の間に書いたものと思われます。
 秋山真之の「本日天気晴朗なれども波高し」も、真之が、最初の電文「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす。」を見たときは、「それでよし」と答えたのですが、それを持参してきた兵がその電文を持って去ろうとしたとき、「ちょっと待て!」と呼び止め、それに書き加えた文ですので、これまた、推敲の時間とてない、寸秒の間に生まれた文です。

 鬼作佐の文も、真之の文も、簡潔明瞭というだけでなく、推敲にほとんど時間を取らず生まれた文であることを思うと、彼らに共通するものは、何だったのでしょうか?

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