コラム

 公開日: 2018-06-08 

「孫子」と「漢書」に学ぶ、トップと幹部の関係 5

2 武田勝頼
(一)長篠の戦い
武田信玄亡き後、信玄の衣鉢(いはつ)は武田勝頼が継ぎます。
武田軍団は、なお強大です。
勝頼は、徳川方に帰属した長篠城を攻めますが、このとき徳川に織田信長の援軍が到着して、長篠の戦いに入ります。

戦いの前の敵味方の人数
織田・徳川軍は三万八千人、武田軍は一万五千人。うち三千人は長篠城の押さえに置いていたので、長篠の設楽(したら)原(はら)へ出撃できた人数は一万二千人。
数の上からは明らかに劣勢です。
この時点で、武田軍は、「孫子」の教え「十倍の兵力なら包囲し、五倍の兵力なら攻撃し、二倍の兵力なら分断し、互角の兵力なら勇戦し、劣勢の兵力なら退却する。」に従い、退却すべきでした。

戦い直前の状況
織田・徳川軍にあっては、敵からは全貌が見えないように、丘陵を利用して巧みに馬防柵を構築(野戦築城)し、その内に三段構えの鉄砲陣を敷き、満を持して武田軍の来襲を待っている状況です。
一方、勝頼の武田軍にあっては、自陣の背後に位置する鳶ヶ(とびが)巣山(すやま)砦(とりで)が敵軍に墜とされ、軍兵の動揺はなはだしい状態に陥っています。
そのうえ、自軍の姿は敵前にさらけ出しています

戦い
勝頼は、ただ真っ正直に、騎馬軍団で、織田・徳川軍を襲撃するのです。
「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而(しか)るを況(いわん)や算なきに於(お)いてをや。」
これも「孫子」の言葉ですが、勝頼には、算があったとは思えません。
戦いは、勝頼側の騎馬軍による攻撃から始まります。
第一陣は、敵の馬防柵に至る前にことごとく朱(あけ)になって倒れます。
勝頼は、それを見て、戦法を変えることなく、第二陣、第三陣と、突撃を命じます。
生卵を岩に叩きつけるような戦いです。
結果は、勝頼軍の負けです。

これによって、勝頼は甚大な物的人的損害を出します。
一説(「信長公記」)では、勝頼側の死者は一万人ということですが・・・
戦いの後、勝頼は、急坂(きゅうはん)を転げ落ちるように、勢力を無くしていきます。
そして、七年後、ついに織田・徳川軍によって天目山(てんもくざん)にまで追い詰められ、自害していくのです。

(二)敗因
ア 学びて思わざれば即ち罔(くら)く、思いて学ばざれば即ち殆(あやう)し
この言葉は、孔子の言葉とされていますが、兵法も、学んだだけで実行ができなければ、危うい限りです。
勝頼の敗因の一は、兵法のイロハも理解できていなかったこと

イ 輔、隙(げき)(君主との間の隙間)あれば、則ち国必ず弱し
実は、勝頼、戦いに入る前に、信玄股肱(ここう)の臣、山県昌景、馬場信春、内藤昌豊らから、撤退を進言されているのですが、頑としてこれを聞き入れません。
聞き入れないばかりか、意地になり、御旗・楯(たて)無(なし)を持ち出し、股肱の臣の口を封ずるのです。
「御旗」とは、先祖の新羅三郎義光の父頼義が後冷泉天皇から下賜(かし)された旗のことで、楯無というのは、義光が使っていた鎧(これがあれば楯は必要なしといわれたところからついた名称)ですが、家臣は、これらを示されれば絶対服従を強いられるものでした。

ウ 二世の脆弱
勝頼は、智恵において、力において、父(信玄)には遠く及ばないのに、父と同じ智恵、同じ力があるとの錯覚の上で、采配を振った脆弱が、長篠の戦いに出てきています。
平時においては、愚者だとか、我が儘息子だとか、陰口をささやかれるだけですみますが、戦いの場での二世の脆弱は、一族郎党を道連れに、身を滅ぼしてしまう危険があるのです。

実は、勝頼のこの脆弱は、戦い以前に、すでに出来上がっていたのです。
先ほど、長篠の戦いの前、長篠城が、武田方から徳川方に帰属したと書きましたが、それは、長篠の城主一族が、勝頼を見切ったということなのです。
トップが、組織を構成する人材より、見切られていたことが、そもそもの勝頼の敗因だったです。
勝頼の戦い方の巧拙を論ずる以前の問題なのです。

長篠の戦いの後も、勝頼からは、多くの家臣が、櫛の歯を引くように、離れていくのですが、哀れ、勝頼は、その原因が分かりません。
父信玄の側に居て、父信玄を見ながら、人心収攬の心と技術は学んでいなかったのです。
いな、群臣に、主と仰がれるほどの、者になっていなかったのです。
著者は、これを二世の脆弱と名付けましたが・・・

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