コラム

 公開日: 2018-06-07 

「孫子」と「漢書」に学ぶ、トップと幹部の関係 4

三 腐木は柱と為す可からず。卑人は主と為す可からず

「腐(ふ)木(ぼく)は柱と為す可からず。卑人(ひじん)は主と為す可からず」という言葉は、後漢の時代を書いた「後漢書(ごかんじょ)」の言葉です。
意味は、腐った木は柱にしてはならず、卑しい心根の人は主人にしてはならないというものですが、転じて、国を滅ぼすような者には仕えてはならないということです。
ここでは、二人の人物を、取り上げます。

1 項羽
(1)楚漢の戦い
劉邦との戦いの帰結
楚漢の戦いは、項羽と劉邦の戦いですが、武人としての項羽と、武人としての劉邦では、比較にならないほど、項羽が強く、劉邦は弱かったのですが、劉邦の側には、有能な家臣が雲集し、劉邦は彼らを信頼して戦いのすべてを任せたのに対し、項羽は、自らの力のみを頼りに戦ったため、劉邦側が勝ち、項羽側は敗れました。

(2)敗因
ア 人材を見抜く眼識なく、臣下の善言を聞かない人物であったこと
(ア) 韓信を重用せず、かつ、殺さずの愚を犯したこと
実は、劉邦の家臣として、能力を縦横に発揮した人材の中にいた、韓信や陳平は、以前は項羽軍にいた者です。
韓信については、項羽の軍師であった范増から、軍事の才能を認められるのですが、項羽は、韓信の風采が悪く、軍事を任せるに足る人物には見えず、韓信を重用しようとはしませんでした。
そこで、范増は、項羽に、韓信を重用しないのなら、彼が劉邦側に付くと恐ろしい敵になるので殺すようにと、勧めるのですが、項羽は、それでも韓信を恐ろしい敵になるなどとは思えず、彼を殺そうとしませんでした。
韓信は、その動きを知り、やがては范増によって殺されることを予見し、項羽軍から逃亡し劉邦の軍につきました。
前述のように、「孫子」は「「将とは、智・信・仁・勇・厳なり。」と教えていますが、項羽は、明らかに「智」を欠いた人物ではありました。
すなわち、老子は「人を知る者ものは智なり、自らを知るものは明なり」といっているからです。項羽は、韓信そのものの人物を知らず、「智」を欠いた人物ではあること明らかでしょう。

(イ) 鴻門の会で劉邦を殺さなかったこと
項羽は、劉邦が項羽より先に、秦の首都咸(かん)陽(よう)に攻め入って秦を滅ぼしたことに怒り、范増の勧めによって、劉邦を殺そうと計画をたてます。
しかし、その事を、項羽の叔父である項伯が知り、夜陰、劉邦の軍に赴き、友人の張良に、その事を告げ、そこから劉邦が項羽の立てた殺人計画を知ることになった後の、劉邦側の策略が冴え、遂に項羽は劉邦を殺しませんでした。
范増は、劉邦が項羽に命乞いをするため鴻門に来た時(歴史に名高い「鴻門の会」)、この時こそ、劉邦を殺す千載一遇のチャンスと考え、項羽に劉邦を殺すよう執拗に勧めるのですが、項羽は、ついに劉邦を殺さなかったのです。
その理由はというと、劉邦が、項羽より先に秦の首都咸(かん)陽(よう)に攻め入って秦を滅ぼしたのは、項羽のためであったと、弁解にこれ努めたことでした。
その証拠に、劉邦が略奪をせず、阿房宮にも入らず、三世子嬰も殺さなかったのは、すべて項羽の判断を仰ぐためであったと、言うのですから、項羽にとっては悪い気はしなかったからなのでしょう。
ここでは、項羽は、劉邦を殺すという「勇」のなさも露呈しています。

イ 道を踏み外したこと
「孫子」は「道、天、地、将、法、」の五つが、戦いに勝つための条件だと書いております。
ここで「道」とは、大義のことです。
戦争の大義名分のことです。
では、大義とは何か?といいますと、「大義親(しん)を滅す」という言葉があるように、肉親を犠牲にしてもなお達成しなければならない、至高の価値というべきものなのです。
この「道」を、勝つための第一の条件に据えた「孫子」は、大義のない戦いは、必ず敗れる、という真理を、看破したのでしょう。
我が国の幕末は戊辰(ぼしん)戦争で、王政復古を大義とする、天皇方の旗(錦旗)を掲げた薩長土肥軍に対し、徳川幕府最後の将軍徳川慶喜はなすすべもなく、ただ恭順の意を表するのみ。
戦意を放棄し、江戸城を明け渡してしまいました。
大義の旗を敵とすることはできないと考えたからです。

さらには、我が国の戦国時代の山崎の合戦。
主君の弔い合戦で、不義の逆臣を伐つという大義をかざす羽柴秀吉軍と、主殺しの簒奪者(さんだつしゃ)という汚名だけで、大義を失った明智光秀軍。
一方は、鼠(弱兵)も虎(強兵)となって襲いかかり、他方は、虎も鼠となって逃げ散っていく惨を見せてしまいます。

項羽の場合は、自分の主人であった楚の義帝を弑逆(しいぎゃく)するという大罪を犯しています。
さらには、秦の降兵二十万人を生き埋めにしています。
楚の民や秦の民から怨嗟されるほどの、義に背くことをしているのです。

ウ 論功行賞が不公平であったこと
項羽は、戦いに強く、乱世になった秦末の世で、戦いに継ぐ戦いをし、領土を広げ、財を蓄えていきますが、論功行賞(功績を論じ、賞を与え行うこと、つまりは、よく働いた者へ報酬を与えること)が身内には厚く、そうでない者には財を惜しんで十分には与えなかったため、麾下(きか)の将には、不満を持たれ、項羽軍を離れ劉邦軍の方へ付く武将が増えていきました。
おかげで、劉邦軍は負けるたびに、自軍の将兵が増えていくことになるのです。

論功行賞は、これを公平に行わないときは、九仞の功を一簣に虧く(意味は、高い山を築くのに最後のもっこ一杯分の土を盛らなかったこと。転じて、長年の努力が最後の一つの失敗で瓦解するという意味)ことになりますので、リーダーには、最も重要な仕事です。

この、リーダーとして最も重要な仕事である論功行賞に失敗したことが、項羽の最大の敗因ではなかったかと、著者は、愚考しています。
それは、吉川英治の「私本太平記」からも分かります。
すなわち、後醍醐天皇が鎌倉幕府を相手に戦い、勝利したものの、王政復古を果たした後の論功行賞が、あまりに恣意的かつ不公平であったことから、与党になった軍の中から次の戦乱を呼び起こし、わが国の歴史上、唯一、王朝が二つになるという時代(南北朝)を作り出すという失政を犯したことからも明らかだと思うのです。

以上、アとイとウが、著者の愚考する、項羽の敗因ですが、同時に、この敗因は、リーダーたる者、反面教師とすべきものと考えます。

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